仕事はそこそこ要領よく、趣味に全開がモットーです。
オフロードバイク = ライフワーク
大学時代所属していたワンダーフォーゲル部の先輩4名が乗っていたことがきっかけ。
当時暗い受験戦争(?)をなんとか生き残り、何もかも新鮮に見えた4月、部室の脇に並んでいたKDX、XLR、セロー2台を見てしまったとき全ては終わった。あえて言うなら自由の象徴。卵からかえったひな鳥が最初に見たものを親と思ういわゆる刷り込みなのか、本能が求めたなのか、それはいまだに判らない。ただ、今でもオフロードバイクを見るとどきどきするのは変わらない。ちなみにロードバイクだと何も反応しない。近所のカブと同じ扱いである。
山に入れば砂利道になる土地と時代だったので舗装路、林道分け隔てなく走り回るだけで面白かったが、やはり山奥を貫く峰越林道は特別で相馬田代林道と弘西林道(現:白神ライン)は何十回走ったかわからない。
20歳の夏には北海道テント泊20日間ツーリング(本当は30日間の予定だったが 、飽きた)とエンデューロレースに初出場し、いろいろなバイク人に出会い影響を受ける。
冬に降雪のため乗ることができないのと、レース開催が少ないことに嫌気がさして栃木県で就職。エンデューロレースに漫然と出場していたのでは上達できないと悟り、KX80でモトクロスを始める。2年ほどでKX125に乗り換えMCFAJ125ノービスクラスに参戦、当時は120台以上が参戦する激戦区で、予選4組で7~8位に入らないと決勝に出られなかったため当然最初は4周の予選で1日が終わりだったが、毎週の練習のかいがあって安定的に決勝進出、最高で8位だった。120台中8位ならまぁまぁと思うが、上にはさらにジュニアとエキスパートの方々が同じくらいいるんだよな、と思うとこれ以上時間と費用と怪我のリスクを掛けて参戦を続けるのも虚しくなり、26歳でモトクロッサーを降りる。
全ての余暇時間を捧げていたモトクロスを辞めると、とたんに無気力状態となり、気が付いたら30歳になっていた。
週2回程のバドミントンやテニスのサークルで活動してはいたが、やはり心から取り組めるものが欲しく、またバイクを買った。モトクロスはもう怖かったので、XR250で林道を走り始めた。
しかし、35歳のとき、膝の靭帯が切れていたことが判明、手術となる。そうとう前から切れていたらしいが、バドミントン中に膝崩れを起こして病院にいって判明。多分モトクロスをしていたときに切ったのを筋肉でカバーしていたが衰えて膝崩れを起こしたようだ。おかげで今年の8月まではオフバイクに乗れない、カシータの出番もない。出番がないとなぜかいじる気もしなくなる。いざ出番になるとあそこをこうしておけばよかったと山のように後悔するのだが、やる気がないのにいじってもろくな結果にならないので仕方ない。最近はガソリン高騰対策のために買った125ccのスクーターを乗り回し弄くりまわしている。昔はスクーターなどバイクではない、と馬鹿にしていたが、偉大な乗り物であることに気が付いた(怪我の功名?)。
さて、スクーターの快適化を進めた結果、年に数回の暴風雨時以外は車より楽、速、安となり通勤や買物は全てスクーターでエスティマいらないじゃん、ということになってきた。
日常の足と牽引車を兼ねることができるのが最大のメリットであるキャンピングトレーラーもこうなると駐車場スペース、フェリー高い、高速1000円使えないと悪い点ばかり目立つようになり、
いすゞロデオ
を購入。カシーター改造で得たノウハウを投入して再び一から快適化に取り組んでいる。どうも私はキャンピングカーを使うより作る方が好きなようだ。これでカシーター改造も終了か?
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